わたくしの場合は、独身女性から相談されることは滅多にありません。
たいていが、既婚者の家庭全体の相談ごとです。
つまり、配偶者のこと、同居している親のこと、子供のことなどです。

 したがって、相性という面でも、非常に現実の生活にねざした相性
という観点から見てしまうくせがついてしまっています。


現実の生活とは、食事を一緒にして、洗濯物も一緒にして、掃除は分担して、
子供の教育問題では口論して、親との関係で口論して、
といった日々の生活の中で、相性というものが、どういう形ででてくるのかを、
観察することになるからです。

 こういう観察をしていると、恋愛で、燃え上がって、結婚したのに、
一体あれは何だったんでしょうか?と質問したくなる夫婦がおおぜい いらっしゃいます。



そして、実際に一つ屋根の下で生活するには、性格が異なっていて、
理解できないくらいのほうが、良いという結論をもっています。
具体的には、次のようになります。

まったく、異なりますから、ケンカになっても、ひどいケンカにならないのです。

 男女とも、甲だと、ケンカになれば、どこまでも自分の非を認めません。

 男女とも、己だと、ケンカになれば、どこまでもヒステリックになり、
離婚届けに即刻印鑑をおしたりおします。

 まったく、異なりますから、ケンカになっても、ひどいケンカにならないのです。
 男女とも、乙だと、いつも悩んでいて、いつも考えていて、ケンカも陰湿になります。
 男女とも、庚だと、ケンカになれば、お互いに遠慮がなく、ひどくなります。
 お互いに、勝手なことをやっているという場合もあります。

帝旺
帝旺の人は、細かいことが気にならず、昨日のことは覚えていないので、
執着心の強い胎の人にとっては、救いの存在になっていくわけです。

こんなふうにです。

同じような、性格の人とは、たとえ恋愛関係になったとしても、結婚生活は良いとはいえないのです。
沐浴
沐浴の人は、次々と新しいことが気になってしかたありません。

瞬間湯沸かし機みたいなもので、すぐに、冷めてしまいます。

そして、また新しいものに関心がいきます。

ですから、相手は、じっくりと考えて、あまり行動をすぐに起こさないような人が良いのです。

同じような、性格の人とは、たとえ恋愛関係になったとしても、結婚生活は良いとはいえないのです。
冠帯の人は、見た目と格好を気にするので、本質的なタイプが合います。
建禄の人は、現実的すぎるので、少し夢想的なタイプが合います。
帝旺の人は、なかなか、細かい部分まで目が届かないので、細かいタイプが合います。
衰の人は、なかなか、行動しないので、行動的なタイプが合います。