ドストエフスキーの言葉に、人間のもつ能力のうち知的部分というのは全体の20分の1である というのがある。
大東亜戦争のときは、陸軍士官学校などの秀才が集まって戦争を主導した。中国では1000年以上も、科挙の試験に合格した知的エリートによって支配が行われてきた。日本では、東大を卒業した人が官僚になって長年国を運営してきた。
知的能力のある人に、国を任せれば安心かどうか?というのは、もう結論がでている。
では知的能力以外の能力とは何であろうか?それは、相手の立場になりきる能力だと思う。政治家なら、国民の立場になりきらないといけない。外交官なら、相手の国の立場になりきらないと交渉ができないだろう。メーカーの開発者なら、製品を使うユーザーの立場になりきらないといけない。販売員なら、ものを買う顧客の立場になりきらないといけない。
この相手の立場になりきる能力を延長していくと、真実を見抜く能力になっていく。
たとえば、誰が9.11事件をしかけたのか?しかけて得をする立場の人間はだれなのか? イスラム教のテロリストが果たして得をするのか? 本当に信念とか宗教的動機だけであれだけのことがやれるのか? そのあとの米国の動きをみていると、結局戦争で得をした連中がいることがわかる。
日本経済新聞に、昭和天皇が1988年に、靖国神社の戦犯合祀について、強い不快感を示し、以来、参拝していないなどと語ったとされる記事がすっぱぬかれた。本当なのか?公人教育、つまり帝王学を徹底して幼少から訓練された昭和天皇は、好き、嫌いという感情を人に出すことはない。そういう公人が、そんな発言をするのか?
その後、安倍晋三のスキャンダルが週刊誌にでるようになった。なんとかスキャンダルを発見して、週刊誌やメデイアを使って、総理にさせたくないという権力が動いていることが予想される。
今年の8月15日 靖国参拝した小泉総理に対し、中国や韓国からは非難の声があがらない、マスコミも騒がない。なぜか?
こういう内容を時系列に観察していくと、政治や経済界の勢力争いの構図と、今の状況が見えてくる。
知的能力だけでは、これからの日本は生き抜くことはできない。TVや新聞の記事を鵜呑みにするようでは、メデイアによって、人生を失敗させられることは間違いない。
相手の立場になりきる能力、これは、自分の心が100%の平安を保っていないと、できないことである。自分のことはもう終わっていて、自分自身の利益や評価を気にする段階を卒業した人が、もてる能力のような気がする。
経営者から、なぜ、この人はこんなにも、仕事ができないのか?理解できないという相談を多くされる。
天賦の能力のあるなし というよりも、その人の人格や能力が形成されてきた家庭や学校などの影響が非常に大きい場合がある。
そこまで、つきつめないと、今の若い人達の人事は、うまくいかない。
松下幸之助が活躍していた時代とは違うのである。あきらかに、人の質は、落ちてきている。つまり、人を育成する社会環境の質が落ちてきているのである。
結局、ビレッジみたいなものをつくり、同じ考えをもった人達をあつめ、各分野の一流をあつめて、社会環境を整備していく必要があると思う。
トヨタがつくった学校などは、その一例かもしれない。国がやらないなら、民間でやる こういう時代になってきた。
|