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星平海会での鑑定事例

日本で初めてディスカウントストアを作った男性


 この男性、今から40年ほどまえ、日本がまだ、百貨店全盛時代のときに、初めてディスカウントストアという名前の店を作った男性です。その後、その店は、年間で1000億を超える売り上げの大企業に発展しました。この男性は、もともと伝統あるある百貨店に勤務していたサラリーマンでした。その時代は、百貨店といえば、品質の非常に良いものを、外商といわれる営業マンが富裕層にカタログを見せて、高価格で販売するといったことが当然のように思われていた頃です。ところが、この男性は、そういった商売の仕方が納得できず、庶民が1円でも安く、過剰品質でないものを無理せずに買えるような店を作りたいという欲求が沸いてきたのです。

そこで、勤務していた百貨店を退職し、当時米国で、流行していたディスカウントストアで働き、ノウハウを学ぶために、単身で渡米したのです。そして、3年間、米国で、商品の仕入れ、管理、販売、人材といった、「ヒト・カネ・モノ」のノウハウを学び、日本に帰ってきてから、デイスカウントショップを首都圏に出したのです。1号店は大盛況で、30年間で、年間売り上げ1000億という企業にまで育て上げたあとは、会社を人に譲って引退生活をしています。

さて、一見すると、典型的なサクセスストーリーを歩んで来た男性ですが、そこには、自分の持って生まれた能力に早くから、気がつき、それを、徹底して磨いていったという生き方があります。

その生き方をするためには、勇気をもって安定した収入と生活を捨てて、夢を追いかけるという決断が、この男性の成功につながっていると言っても過言ではありません。では、ホロスコープと四柱推命と紫薇斗数推命を使って、この男性の適性と能力を分析してみることにします。

 

@ホロスコープで人の概要を知る


 月の影響を大きく受けています。月は感情面をつかさどりますから、計算よりも感情で動くタイプです。さらに、その月が火星、、冥王星と一緒にかに座に入っています。かに座は、自分を認めて欲しいという欲求が強く、一人ぼっちになることを嫌い、組織の中で人と交流しながら生きていくことを望みます。

 


A四柱推命で社会的能力を知る


 主たる能力は、甲と癸の印綬星です。 雨の癸が大樹の甲を、育成している美しい知的でセンスの良い学習能力が基本です。つまり、すぐれた文化やシステムを短時間で吸収し、それを自分の社会的な発展のために使っていくことができます。単身で米国に渡って、すぐれたディスカウントストアのシステムを学習したというのは、この男性の天賦の能力なのです。従属する能力は、甲戊の偏財星です。

甲の大樹が、戊の土を剋しています。つまり、力強く、土を根で開墾するような形になっていますので、それはビジネスという世界においては、相手をコントロールし、支配するという能力になってきます。つまり上の2点をあわせると、目標に向かって、知的な頭脳をフル回転させて、優れたものをどんどん吸収して発展していきますが、その際、具体的なやり方においては、極めて押しが強く強引な面もあるということになります。

 


B紫微斗数推命が最もこの方の特徴を表しています。


 命宮に、人よりも欲望が大きく、その欲望を達成するためのパワーもある、貪狼星が入っています。財帛宮には、軍隊を破るとされる破軍星と、軍隊の中でも傭兵的存在の蛇羅星が入っています。つまり、お金を得るその方法は、非常に荒っぽく、厳しさと冷血さと、非情さをもって、利益を追求していく心情があることを意味しています。官禄宮には、七殺という反逆の星が入っていますから、組織に従事するサラリーマンとしては、やっていく気持ちがないことを意味しています。これらの3点を総合すると、競争社会で、勝つことに喜びを見いだしていける、厳しさを身につけている人ということができます。

 

C宿曜経でみると、柳宿です。つまり、風が吹いても、雨が降っても、柳のように、辛抱づよくやっていくことをいいます。

 

 


 さて、このように4種類の異なる占いを使ってみると決して1種類の占いでは、この男性の本質を理解することができないということが分かると思います。

東洋の占いである、四柱推命と紫薇斗数推命だけを使うと、居丈高で、利益だけを追いかけていく、非情なビジネスマシーンといったイメージとして理解できません。

そこには、人としての温かみはまったく感じません。実際に、仕事だけで、この男性とつきあう場合は、そういう印象を持たれることが多かったようです。

しかし、ホロスコープを使って、診断すると、家庭の愛を大切にし、人との交流が好きであることが分かります。

日本で、ディスカウトストアを始めた、その動機は、日本の庶民のために、安くて、気軽に品物を買える、喜ばれる店づくりという夢があったからです。決して、利益追求という目標が先行したわけではないのです。